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白い林檎、硝子のスープ

読書・ゲームなどの感想を書いていくです

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少しだけ考えた。ふり。

マスコミを有効活用するにはどうすればいいのか。
 いまのマスコミは腐っている。偏向報道しかり、評論の場としての完全な機能停止しかり。土日とかにやってる報道特番系議論ではコメンテーターやらが幅を利かせ、番組を司会執行するべき立場の人たちは上からの方針に逆らえず、それ以上のことはできない。そのうえ、このような番組を見ても、視聴者は「騒音」を好み、その「内容」を考えないことが多い。「これくらい議論されてるな」という印象を持たせることが大事であるこのような番組では、つまり「どの議題が議論されているか」が大事であり、結局は偏向報道の一翼を担っている。
 結局のところテレビなどのマスメディアは「視聴率をいかにしてとるか」を考え、その方針からどのような番組作りをしていくかを考えるわけで、結局「国民の代弁者」になっている。ほんらいマスコミというのは「国民に考える機会と材料を与える」だけでいいはずだと私は思うんですよ。しかしこのような状況です。非常によろしくない。
 もしこれが「小泉劇場」のような一人のメディア利用法をわきまえた劇作家が操作する劇場としてのマスコミであれば、それは政策の一形態として非常に有効です。この場合、「機会を与えるマスコミ」が「小泉によって操作された機会」を与えるマスコミに変化しているだけで、政策としては大正解です。故に私は小泉さんについてはあの方法を批判はしません。ただ、あそこで操作されている、なんか都合よすぎると気づけない国民に関してはだめだと思いますが。小泉さんは国民の性質を完全に理解した上で彼らが最も納得する方法を提案したにすぎないのです。このばあいのマスコミは道具です。それ以上でもそれ以下でもありませんでした。それは最終的にマスコミの目指すべき最高の立場です。
 まあ、この場合もマスコミは道具なりに抵抗すればよかったのですが、これが意外に視聴率が取れてしまう。味をしめてマスコミは小泉劇場を演出した気になってしまう。実際は小泉さんが演出したものを演じていたにすぎないのに。役者というのは劇作家の意のままですが、しかし自分たちが自分たちだけの力で劇を作ったのだ、と勘違いしてしまうのです。
 小泉さんが消えた後、マスコミは次の劇作家を求めます。とりあえずあべさんをターゲットにしましたが、彼は劇作家というより裏方でした。目立たない役回りを求めていないマスコミは彼を拒否、いつの間にか自分たちこそが劇作家だ、と勘違いしたのか、「視聴率とれる」ことを「国民の声」として報道するようになります。それはマスコミの色眼鏡のかかった声。そこからだんだんとおかしくなったのでしょう。
 さてさて、どうすれば改善できるのか。結局のところ上に行くしかないのです。しかし、上に行ってこの体制を改善したとして、マスコミは崩壊します。崩壊の時、それを受けるのはせっかく上に行って改善した人です。そんな損な役回りは誰もしません。よって改善されません。そしていつまでも。
 結局ネットが予想外に力を持っていないため、テレビはなめてます。そこをうまくつくのが重要かもしれないですね。


ま、これは平成生まれが考えたしょぼい考察です。実際昔っからマスコミはあるわけで、こんな小泉劇場があったから云々なんて論は通用するわけもない。でも、とりあえず近場の話題だけで考えてみるってのも手かと。
こんなふうなことはmixiには書きたくないからね。ここに書くんですよ。