白い林檎、硝子のスープ

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沈黙のあと ジョナサン・キャロル

 正直なところ、異色作かな、と思う。
 キャロル作品の特徴は、主人公に幸せの絶頂を迎えさせた後に極端に破滅的な結末へ急降下するストーリーである。基本的に日常生活を描いていき、その上でその日常がいつの間にか非日常に変化していく、その過程の面白さはキャロル作品の魅力である。しかし、今回はあまりそういうものではない。最初から最後まで徹頭徹尾日常である。その代わりと言ってはなんだが、その平和な日常に食い込んでいる異常な日常がかなり常軌を逸している。
 今回の話でも今までの作品と同じように一度幸せを主人公に掴ませるが、そこで絶頂に行く前に影が見える。その影は幸せを崩壊させるかと思いきや、逆に崩壊を契機として幸せの絶頂へと進んでいく。
 しかし絶頂に達した、というところで第1部が終わり、第二部になるといきなり物騒になる。明らかに幸せは終わりに向かっており、思春期の子供を抱える親の悩みが前面に出てくる。ここら辺、今考えると確かに不自然な部分がある。やたらと信用したがるというかなんというか、ラストへの伏線があるように思える。
 今回は唐突に終わりがやってくるのではなく、終わりに向かって主人公が走り出してしまうという感じである。結局主人公は自らの手で自分を絶望の生へと追いやってしまうわけで、これは『我らが影の声』と似た結末である。
 守護天使に関して。ほかのキャロル作品で何回か登場している彼らは死の象徴でもあり、これが主人公の心の中に表出することが一種の分岐点となっているように思われる。主人公が発狂していたのかそうではないのか、この小説自体ではどちらともとれる。『月の骨』的な世界が存在し、発狂というよりその世界へのズレを引き起こしてしまったと考えてもいいかもしれない。
 また、キャロル作品に多用される「親と子」のテーマが特に強いのもこの作品の特徴である。主人公とその父の話は随所で挿入され、ヒロインとその父の話も非常に印象深い。そして第二部自体が主人公と息子の話であり、またその息子の本当の家族の話でもある。そう、はじめの崩壊も、最後の崩壊も、どちらも「家族」というものへの強い疑念が引き起こしたものとも考えられるのだ。これはかなり意図的なものであると思う。ここまで露骨に親と子のイメージを出しつつ、ラストで主人公は息子に対し「親と子」ではなく「守護されるものと守護天使」というイメージを明らかにしてしまう。ここから世界がゆがんでいく。
 個人的には今回のラストはちょっと微妙。おそらく発狂によるもので、ラストで正気にかえってああああという感じだろうが、インパクトが弱い。『我らが影の声』レベルに悪質なインパクトはいらないが、せめて『死者の書』程度のインパクトは欲しかった。
 ファンタジーの色がここまで少ない話も珍しいとおもうが、キャロル作品としては完成度は比較的高いと思う。学ぶべきところがたくさんあった。第1部から第二部への時間の経過があまりにも意図的な割に自然であることなど、文章技法の秀逸さはさすがである。

評価:4(キャロル作品としては。一般作品的には評価5にしてもいい)